【読書記録】誰もが嘘をついている
誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性
- 作者:セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ
- 発売日: 2018/02/15
- メディア: 単行本
2020年6月2冊目?くらい。
アンケート結果には嘘をついている。
でも、Googleの検索結果には本当の気持ちが現れる。
冒頭のこの部分だけでも十分に面白い。
1冊分の本を読んだ気持ちになる。
でもまだ続く。
ビッグデータの正しい使い方。大きいがために細かい分析が可能になる。
ビッグデータは万能じゃない。得手不得手がある。
使い方を間違ってはいけない。
という感じの話だったと思う。
また読み直さなきゃ。
【読書記録】孫社長にたたきこまれた すごい「数値化」仕事術
2020年5月6冊目。
もう少し忘れかけてるけど。数字でちゃんと分析しましょうねという話。
そのためのテクニックをいくつか紹介してくれている。
まあ、感覚で判断したり数値化するところを間違えたりして全然意味無いじゃん。というのは割とよくあることなので、それを戒めるのには良いかな?
きちんと目的意識を持って、数字を計測して、PDCA回しましょうという話。
数字出せば説得力出るから人も動かせるよって主張はわかんなくもないけど、そんな簡単に人は動かないから、数字は最低限持っていつつ、それ以外で心を動かす工夫もしなきゃね。
社会人なりたての20代が読むのがおすすめですかね。
30代でこれ読んで感心するのは良いけど、ビジネスマンとしては少し遅いかもですね。
物事に遅いもくそもないんだけどね。
【読書記録】サイフの穴をふさぐには?
サイフの穴をふさぐには? 学校も会社も教えてくれない税とお金と社会の真実
- 作者:オロゴン
- 発売日: 2020/04/01
- メディア: 単行本
2020年5月5冊目。
2時間くらいでサラッと読める。
毎月固定費でいくらくらい使ってるのか改めて調べてみるきっかけに。
まあでも今更読まなくても良かったかな。
社会人なりたての若い人が読む分には充分役立つ本なのは間違いない。
10年前にこの本に出会ってたらもっとお金に困らずにすんだのになっていう、昔の自分に腹を立てる本です。
【読書記録】リーダーシップでいちばん大切なこと
- 作者:酒井 穣
- 発売日: 2011/03/16
- メディア: 単行本
2020年5月4冊目
リーダーシップの定義が独特と思う。周囲を巻き込むことに主眼おかれがちの中、本書ではリーダーシップのことを
「孤独を受け入れ、他の誰でもない、自分自身の人生を誠実に生きる力」
と定義しており、リーダーは
「その力を持っているか、または持とうとしている人のこと」
だと言う。
正直自分には物凄くささった内容だった。
というのも私は自分の価値観に従って生きていないことについてはかなり自覚的であったから。
それによって自分が伸び悩んでいるのではないかという予感も持っていた。
薄々気づきながらも気付かないふりをしていた痛いところをズバって突かれたのだ。
自分の中にある価値観(基本的情動)をさらけ出すのが怖くて出来なくて、常に上辺を取り繕っている、あるいは風見鶏を決め込んでいる。
そもそと本当の自分はなんなんだろう?という問いからも逃げている。
これまでも何とかなってきた、これからも大丈夫だろう。という希望的観測によしかかって生きている。
このままじゃどんどん自分を嫌いになってしまうかもしれない。でもそんな自分も嫌いになりきれない。いつまでも中途半端。それを貫き通して死ぬのもいいかもしれない。でも本当にそれでいいのか?
そんなモヤモヤな読後感。
巻末、発刊によせての保田朋哉氏の文章の中に、自分の人生をどう生きるかを突き詰めて考えたことによってこれ以上悩まなくなったとあった。
自分に足りないのはここなのだという実感。
諦めがつくほどに突き詰めて考えりるだろうか?無理だろう。
でもこれが決められないと、「自分の人生」を生きることは出来ない。
悩ましい。
自分が守る自分の価値観、これを意識的に決めないといけない。
【読書記録】「仕事ができるやつ」になる最短の道
- 作者:安達 裕哉
- 発売日: 2015/07/30
- メディア: 単行本
2020年5月2冊目。
行動に刷り込むにはまず頭に叩き込まなきゃダメだと思い、習慣に組み込むことをやろうと、とりあえず、この本に書かれていて覚えたいと思った事項を5つ選んだ。そして、それらを必ず目にするように、平日毎朝7時に日替わりでiPhoneに表示されるようにリマインダーを設定した。これで週に一回必ず見るし、それを半年も繰り返せば暗記するだろうし、そしたら行動も変わるだろうなというねらい。
読んで満足するだけじゃ頭に残らないし、それでは何のために本を読んだのか分からなくなってしまう。まあそれでもいいんだけど、せっかく読んだのにその後に変化が起きないのは勿体ないということで。
「決められない」という弱さと強さ
昔から「これに決めた」ということが出来ない。どれもそれぞれの良さと悪さがあって、どれか1つに絞るということがどうも苦手だ。(実際はもっと複雑だけど話をすっきりさせるためにシンプルに説明すると、)やり方Aとやり方Bがあったとしたら、私の場合は「その時々で良さそうな方を都度選ぶ」が最もしっくりくる。実際物心ついてから今に至るまでそうやってきた(と思う)。
とは言え、このやり方では駄目だと感じることもあって、それは大学時代くらいから増えてきた。(僕からしたら)驚くべきことに、ある人々はやり方Aの良い点とやり方Bの悪い点だけにしか気が付いていないのではなく、やり方Aの悪い点も、やり方Bの良い点にも気づいたうえで、「やり方Aだけを選ぶ」ということをやっていた。
これは私には衝撃的なことだった。自分にはできない、と感じたからだ。と同時に「もうAに決めたんだ」という言葉からは覚悟と重みを感じたし、実際Aのデメリットの直撃をくらいながらも自分の決めたことを曲げずにAの道を突き進んでいく姿には感動すら覚えた。最後、彼はAのデメリットに押しつぶされて夢は叶わなかったのだけれども、それでもどこか彼は満足しているようだった。
実際人間一人のリソースなんて一部のぶっ飛んた天才を除いてどんなハイスぺ人材だったとしてもたかが知れているし、であれば選択と集中で1つのことに全て突っ込んだ方が深掘りできるというのは理屈としても適っている。
やりきった後の達成感や得られる自信も加味すると、1つのことに「決める」というのはアリな選択肢に思える。
それでも私にはできない。続かないのだ。続けることのストレスに耐えられない。昔はそんな自分に嫌気がさしたこともあったが、今はそうでもなくなった。決められないことにも強みがあるんじゃないの?と思えてきたからだ。
私は1つのことを続けることは苦手だが、いろんなことを試すのは得意かもしれない。イチローは毎日カレーしか食べないが、私はカレーだろうがシチューだろうがバナナだろうがなんだって食べるし、時には食べないことだってある。
つまりは多様性なんだと思う。1つに対しての突破力では勝てないが、様々な状況においての対応力じゃ負けないよ。という話。1教科だけ100点であと20点取るか、全教科70点取るかの違い、といっても良いかもしれない。私は100点は取れないけど、大体何でも70点取れるよ、それが強みだよ。ということだ。
これは個人の価値観だと思うし、適性もあると思う。ただ1つ言えるのは、どっちも絶対に必要だってこと。「決められる」人はいけるところまでイッちゃって突っ走ればいいし、その人の苦手分野を「決められない人」がフォローしてあげれば良い。
「決められる」人にあこがれて、「決められない」性格が嫌いだった昔の自分は、自分の適性を分かっていなかっただけなんだと思う。
考えることを始めてみよう
大学生の頃だから、もう10年以上前のことになるのか。ブログを書いていたのは当時、1日に1つでも心に残ることを留めておくことに価値があると考えたから、あるいは何かがあったのだと無理矢理にでも書こうとする心持ちが一日をより価値あるものにしてくれると考えたからだ。
あれから十余年、なんでブログを書くのをやめてしまったのかも今となっては忘れた。1年半?くらいは毎日書いてたと記憶しているが毎日が3日に2日、2日に1日と徐々に減っていったように記憶していることからすると、大方飽きたのが一番な理由な気がする。熱し易く冷め易い私からすれば1年を超えて続いたことがすでに快挙といえる。
ブログから離れた私は当然他人のブログも読まなくなった。毎日足跡をつけていたブログも少なくなかったが、今ではほぼ思い出せない。
社会人になって、自分のそれまでの人生が否定されるような環境下でブログなんて書いてられなかったのだ。正確にはまともなことを書こうとするとそれなりに頭を使うが、そこに使うだけの頭の余力がなかった。仕事以外の時間には頭を休ませたかった。私にはそこまで踏ん張って文章を書く気力がなかったのだ。
では何故今になってまたブログを書こうとしているのか。一言で言うと、余裕ができたからだ。働き始めて10年も経つと、いい加減に仕事にも慣れてくる。あとは転職したこともある。新しい職場は仕事内容、給与の両面で私に心の余裕を持たせてくれた。それにより久しぶりに人様が書いているブログを空いた時間に読む余裕ができた。読んでみるとこれが面白い。改めて世の中には頭の良い人がいるものだと感心した。気に入ったブログを見つけては片っ端から読んだりした。そうこうしてるうちに自分もなんだか書きたくなって来た。それは、何かしら書くことが自分のためになると感じるからだ。言葉にすることは、頭の中のモヤモヤを形にすることだ。今の私は読み物を読んで分かった気になっているただの分からず仕舞にすぎない。であれば、テキストにする過程で少なからず私の頭の中は整理されるはずであるし、自分の考え方の中で捉えたものとして再構築されるだろう。何かあった時にとっさに自分の言葉で語れるようになるかもしれない。
そんなわけでブログを久しぶりに書いてみようと思う。いつまで続くかも分からない。毎日書こうとも思わない。それでもそれくらいの方が続きそうな気もしている。まずは今日、書くに至った経緯と所信表明のようなものを書いてみた。