「決められない」という弱さと強さ

昔から「これに決めた」ということが出来ない。どれもそれぞれの良さと悪さがあって、どれか1つに絞るということがどうも苦手だ。(実際はもっと複雑だけど話をすっきりさせるためにシンプルに説明すると、)やり方Aとやり方Bがあったとしたら、私の場合は「その時々で良さそうな方を都度選ぶ」が最もしっくりくる。実際物心ついてから今に至るまでそうやってきた(と思う)。

とは言え、このやり方では駄目だと感じることもあって、それは大学時代くらいから増えてきた。(僕からしたら)驚くべきことに、ある人々はやり方Aの良い点とやり方Bの悪い点だけにしか気が付いていないのではなく、やり方Aの悪い点も、やり方Bの良い点にも気づいたうえで、「やり方Aだけを選ぶ」ということをやっていた。

これは私には衝撃的なことだった。自分にはできない、と感じたからだ。と同時に「もうAに決めたんだ」という言葉からは覚悟と重みを感じたし、実際Aのデメリットの直撃をくらいながらも自分の決めたことを曲げずにAの道を突き進んでいく姿には感動すら覚えた。最後、彼はAのデメリットに押しつぶされて夢は叶わなかったのだけれども、それでもどこか彼は満足しているようだった。

実際人間一人のリソースなんて一部のぶっ飛んた天才を除いてどんなハイスぺ人材だったとしてもたかが知れているし、であれば選択と集中で1つのことに全て突っ込んだ方が深掘りできるというのは理屈としても適っている。

やりきった後の達成感や得られる自信も加味すると、1つのことに「決める」というのはアリな選択肢に思える。

 

それでも私にはできない。続かないのだ。続けることのストレスに耐えられない。昔はそんな自分に嫌気がさしたこともあったが、今はそうでもなくなった。決められないことにも強みがあるんじゃないの?と思えてきたからだ。

私は1つのことを続けることは苦手だが、いろんなことを試すのは得意かもしれない。イチローは毎日カレーしか食べないが、私はカレーだろうがシチューだろうがバナナだろうがなんだって食べるし、時には食べないことだってある。

つまりは多様性なんだと思う。1つに対しての突破力では勝てないが、様々な状況においての対応力じゃ負けないよ。という話。1教科だけ100点であと20点取るか、全教科70点取るかの違い、といっても良いかもしれない。私は100点は取れないけど、大体何でも70点取れるよ、それが強みだよ。ということだ。

これは個人の価値観だと思うし、適性もあると思う。ただ1つ言えるのは、どっちも絶対に必要だってこと。「決められる」人はいけるところまでイッちゃって突っ走ればいいし、その人の苦手分野を「決められない人」がフォローしてあげれば良い。

「決められる」人にあこがれて、「決められない」性格が嫌いだった昔の自分は、自分の適性を分かっていなかっただけなんだと思う。